人の不幸は蜜の味

人の不幸は蜜の味です。今、落ち込んでるあなた、是非一読ください

嫌なやつらの就活失敗談でメシうま 5ちゃんまとめ

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K大体育会主務の友人

8月前に大手に決めた同期に
「そこは給料いいけど激務じゃんwww」
「こないだそこ不祥事起こしてたよなwww」
などと、あらゆる難癖を付けて馬鹿にしていた
かといって優良中小に決めた同期には
「そんな中小でいいのお前?俺が会社選んでやろうか?笑」
と上から目線

そんな彼の目指していた業界は、
重工、道路、鉄道、海運、大手デベ
など超が付く難関業界ばかり
それなのにインターンも行ってなければ特にコネがあるわけでもなく、かといって周到な準備もしていなかった
体育会だし仕事できてコミュ力も高い俺なら余裕!と思っていたようだ

そして始まる8月1周目の怒涛の面接ラッシュ
世の中そこまで甘くなく、落ちる落ちる落ちるw

それでもまだ現実が見えないのか、
「ま、まだ鉄道が残ってるから…」
と、言っていたお盆前
おかしいな…JR内定済の友達が「鉄道はもう内定者懇親会終わったよ」と言っていたんだけど…
案の定ただの形式的面接だったようで無事死亡w

今度そいつと飲むんだが、おつまみいらずで美味しく頂けそうです

 

 

環境保護サークルの長を務めてる元友人。
活動を通じて多くの企業とも関わりがあったらしく、
「俺はコネ凄いからなー」
「こないだはサントリーの人に発表会で褒められたよ」
「お前も就職留年したら、俺が入社した会社に来いよ、俺が引っ張ってやるから笑」
と就活前は息巻いていた。

3月からエントリー解禁されると、その絡みはより激しさを増していった。俺だけでなく、他の知り合いにも同じようにドヤ顔をかましまくっていたようだ。
実際、そこそこ高学歴で環境保護のサークルとゼミに所属している肩書きはあるので、俺含む煽られた側は就活に対してかなり不安になっていた。

それから半年経ち、売り手市場もあってどうにか大手の内定を取った俺はそいつに連絡を取ってみた。就活あるある話なんかをした後、内定先の話になったんだが、どうにも様子がおかしい。
「俺はまだ環境保護でやり残したことがある」
「コネを使えばいつでも就職はできるからね」
「まあ、新卒カード大事な奴らは就職するしかないよなぁ笑」
なーんて言っていたが震え声でしたw
周りの奴らに話を聞いてみると、コネがあると胡座をかき説明会もセミナーも何一つ参加せず、そのまま面接に特攻しまくりの爆死しまくり。
十死零生とはまさにこのことwww
マジでメシがウマいですwww

 

 

ゼミに典型的な大手病、公務員病の意識高い系がいる。
そいつは就活前までは大手企業や公務員に就職しないと人生詰む、
中小なんか大学行ってまで行くところではないとかなり痛い奴やった。
案の定そいつは就活前からボランティア活動をするなど典型的な意識高い系
やった。そして就活始まるとそいつは大手メーカーやメガバンにエントリー
しまくり中小は一切関心を持たない大手病っぷりを炸裂させていた。
5月からゼミ内で続々と内定報告が出るがそいつは一向にNNT。
その後、公務員や大手企業は当然全滅wwww
そしてしばらく姿を見なかったがこないだリクスーを着て学内合説に
参加しているところを見たwwww
 

 

ハローワーク主催の面接練習中に俺とペアになったA
模擬面接をして気付いたところを言い合ってたんだが突然「ネタばらししちゃうんですけど、俺一回就活やってるんですよー」と言ってきた。何のネタばらしなのか意味不明だが、要約すると完璧な回答をして他の受講生をビビらせたくなかったからわざと手抜いて回答したと。
俺の番になったら「人事みたいに対応してあげますwww」とか言いながら俺が言ったことひたすら繰り返してた。
講師が話してるのに「俺からアドバイスなんですけどー」とひたすら上から目線。
セミナー終わった後もわざわざ追いかけてきて○○業界は糞とか中小行ったら終わりとか逆質問の対処法とか聞いてもないのに言ってきた。
10月になってハローワークに内定報告行ったらAがいた。まだNNTで就活相談を受けに来たらしい。「君もまだ就活終わってないんでしょ?」とかニヤニヤしながら言ってきたから志望業界の大手に内定もらったことを伝えた。
「Aさんから頂いたアドバイスのおかげです!ありがとうございました!」って言った時のAの顔は忘れられない

リボ払いの仕組みを知らず借金漬けになった34歳「堅実男」の失敗

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自分は借金とは無縁だ──。そう思っている人は多いでしょう。しかし、気がついたら借金の返済に追われるようになってしまったという人も少なくありません。お金を借りなければならないほど困っているわけでもないのにです。

 その原因はクレジットカード。旅行や買い物などで使いすぎてしまい、 “借金地獄”に陥ってしまっているのです。

 

それだけではありません。最近は、アプリで決済するとクレジットカードで支払う「スマホ決済アプリ」が急速に普及しており、これが新たな借金の温床になっているのです。

 というのも、サービスの事業者が競うように、「20%還元」「10%割引」「利用額の〇%が還元されるくじ」といったキャンペーン展開しているから。「使わなければもったいない」などとキャンペーンに踊らされ、「計画的に利用する」ことができなくなっているためです。


 会社員のAさん(34歳)も、そんな失敗をしてしまった1人。もともと堅実な人で、毎月、給与からコツコツ貯蓄をし、家計簿もつけていました。結婚しても、家計管理は妻に任せず、自分でやろうと考えていたほどでした。ですが、気がついたら40万円ほどの借金を抱えてしまい、貯蓄ができなくなっていました。

 

きっかけは、「頑張っている自分にご褒美」と思い、12万円もするかばんを買ってしまったこと。普段はそんな高い買い物をしないのに、スマホ決済アプリが展開していた20%還元キャンペーンに引かれてしまい、思わず買ってしまったのです。

 購入した直後、「無駄遣いだったかな」と後悔しましたが、キャンペーンが大人気でしかも10日ほどで終了してしまったことで、「ラッキーだった」と思っていました。

 

ここからAさんの転落が始まります。キャンペーンに満足したことで、他のスマホ決済アプリにも興味を持ってしまい、さまざまなアプリを利用して買い物を楽しむようになってしまったのです。


 ある日、クレジットカードの請求を見てAさんは驚きます。請求額が15万円以上と、月収の半分以上になっていたからです。月収では賄えずボーナスで支払おうとも考えたのですが、ボーナスは貯蓄しておきたいと思い、毎月の支払金額を一定にする「リボルビング払い」に支払い方法を変更しました。

 リボルビング払いについても、ポイント還元やキャッシュバックといったキャンペーンが展開されており、得した気持ちこそあれ、罪悪感などは何もありませんでした。

 こうして買い物をするようになったAさんは、もう止まらなくなりました。クレジットカードの利用はほぼ全てがリボ払いになり、気がついたら利用残高が40万円にもなっていたのです。

 毎月の支払いは1万円ほどに抑えられて気分的には楽になりましたが、「いつになったら支払いが終わるんだろう」「金利はいくらになるんだろう」と不安になり、家計相談にやって来たという次第です。

 リボ払いの金利手数料(以下、手数料)は15%程度が一般的。となるとAさんは、10万円以上の手数料を支払わなければなりません。キャンペーンを利用して「お得だ」と思っていましたが、それを上回る手数料にAさんはがくぜんとしてしまいました。

 

Aさんが失敗したのは、リボ払いのデメリットをきちんと理解していなかったから。確かに家計簿はつけていましたが、「クレジットカード払い」「アプリ払い」としか記録しておらず、手数料の高いリボ払いの残高が積み上がっていることを見落としていました。そうして、リボ払いが全て「隠れ借金」になってしまっていたのです。

 結局、妻と相談し、多額の手数料を支払うよりはと考え、貯蓄から一括で支払って解決できたのですが、借金や多額の手数料に直面したときには本当に焦ったと振り返ります。

 

今、消費増税に向けたポイント還元策が打ち出され、それに伴ってさまざまなキャンペーンが展開されています。ですが、それらに踊らされると、Aさんのように失敗してしまいます。


 使いすぎてしまう傾向のある人は、スマホ決済アプリをクレジットカードと紐づけせず、利用する分だけあらかじめチャージし、無駄遣いしないよう工夫しましょう。

 今後、キャッシュレス化はどんどん進んでいくでしょう。そうしたときに困らないよう、支出の仕方やお金の管理については意識し、工夫していくことが重要だと思います。

 

若手声優との結婚を夢見る45歳「子供部屋おじさん」の末路

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勉強して進学して、働けば『クレヨンしんちゃん』の父・ヒロシのように家庭を持ち家を建て、ぜいたくは無理でも普通の大人になれると思っていたのに、どうもうまくいかない。そんなわだかまりを抱えさせられた30~40代の就職氷河期世代に対し、まだやり直せるという期待をこめて「しくじり世代」と名付けたのは、近著『ルポ 京アニを燃やした男』が話題の日野百草氏。今回は、若手声優との結婚を20年超にわたって夢見ているという派遣ITエンジニアの男性についてレポートする。

 

福田さん(仮名)は45歳、1974年生まれの団塊ジュニアだ。埼玉県内の私立高校から私立工業大学を卒業、現在は派遣のITエンジニアをしている。年収は300万ほど。

「実家住まいなんでお金はかかりません。春日部は都心まで1時間かからないし、地下鉄直結で便利です。家を出る理由がないしお金もったいない」

 

福田さんは趣味以外にお金を使うのは考えられないと語る。服は母親がたまに買ってきたもので、好みもないので何でも着るという。ポロシャツのロゴも靴のロゴも某タイヤメーカーのもので、たしかに地方の年配の人によく見られる服装だ。店内でもキャップを脱がないのは若ハゲが嫌だという理由で、これも某タイヤメーカーのロゴが踊る。

 

「高校は私立の単願でした。小学生のころは『春高』(かすこう・春日部高校のこと)に行けと言われてたんですけど、中学に上がったら成績が下がるいっぽうで」

 成績が下がった理由は、アニメとゲームだった。福田さんは当時流行したオリジナル・ビデオ・アニメーション(※OVA、放送ではなく販売が主のアニメーション)や、ファミコンより高度なゲームを遊べたパソコンゲームにハマった。

野田線(現在の東武アーバンパークライン)を柏(千葉県柏市)まで行くと、アニメショップがあるんです。毎週通いました」

 つまり福田さんはオタクだ。それも中学時代のバブル期からずっとオタク。福田さんはオタク趣味と自慰(いまでも一日何回もするという)にハマってしまい、地元私立の単願が精一杯でそのまま進学した。

 

「私の入った工業大学も当時はそれなりの偏差値でした。理系というだけで文系より上でしたからね。それがいまやFランですよ。バカ大扱い。そりゃ当時だって凄い大学ってわけじゃないけど、全入でもなければバカでもない。おまけにせっかく入っても在学中にバブルが弾けて散々です」

 偏差値と文系理系をいまだにこだわるのも団塊ジュニアの特徴だ。私は少し意地悪なことを聞いてみた。

「福田さん、40過ぎたおっさんが自分のお子さんの話ならともかく、偏差値とか文系理系とか、どうなんでしょう」

 福田さんはその質問にたじろぐこと無く、ナンをラッシーで流し込む。

「なんかこだわっちゃうんですよね、そういうふうに生きてきましたから。みんなそうでしょ」

 福田さんは古参2ちゃんねらー(※日本最大の匿名掲示2ちゃんねる、現5ちゃんねるユーザー)でもあり、いまでも文系叩きが大好きだという。最近の主戦場はYahoo!ニュースのコメント欄、通称ヤフコメ。政治には興味なく関心事はもっぱら学歴だが、高校時代にちやほやされていた体育系部活の連中が嫌いなので、スポーツ選手叩きにもいそしんでいる。とくに高卒選手は格好の標的だ。

 

就職浪人と称したニート生活ののち、折からのWindows95に始まるITブームに乗って小さなゲーム会社に契約社員として就職する。

「職歴なしでしたけど20代でしたからまだ間に合いました。プログラマ採用ということでしたが、その会社で一から教わった感じです。一応情報系だったんですけど、ゲームに大学の授業はそれほど役に立ちませんでしたね。でも楽しかった。毎晩徹夜で会社に泊まり込んで、会社もオタクばっかりで年も近い社員ばかりですからオタク人生を謳歌しましたよ」

 心底懐かしそうに、楽しそうに語る福田さん。さらに口が回る。

「でねでね、1990年代末ごろに、ゲームも声優を使いだしたんです。声を収録できるようになった。それでうちでも声優を起用しだした」

 ゲームと声優の世界が近くなったことで、オタクな福田さんにとってゲーム会社で働くことは、またとない仕事になったわけだ。裏方のプログラマだったはずが、小さい会社なので声優の起用も担当する。要は人気声優に会えるどころか、一緒に仕事ができる。

「興奮しましたね。人気声優をよりどりみどり選べるんですから、むっちゃ自分の好みで選びました。あの美少女キャラの中の人、女性声優が目の前にいて、「福田さんってばー」なんて会話してくれるわけです。打ち上げでも女性声優に囲まれて、夢のようでした。正直なところ、小さな雑居ビルでゲームのプログラムを打ち込んでいただけの自分が、急にオタクギョーカイ人みたいになって、それにめちゃくちゃかわいいんですよ!」

 筆者も長くそういった仕事をしていたのでわかりすぎるほどわかる。苦笑する他なかったが、当然すべては「仕事」であり、彼女たちからすれば「営業」である。しかし当時も現在も彼女いない歴=年齢の福田さんには刺激が強すぎたようだ。

「なんとか声優と結婚しようと思ったんです。親も結婚しろ、孫の顔を見せろとうるさかったし」

 

オフに二人で会おうとしたり、呑みに連れて行こうとしたりの行為は、やがて声優の所属事務所から警戒され、「あのひとを外してください」と言われたり、中には「もう御社の仕事は無理」と言われることもあったとか。とくに福田さんがご執心だった某女性声優は、福田さんの絡んだゲームでは必ず起用し、デートもしたことがあるという。だが事務所から猛烈な抗議を受け、声優自身も「断りきれなかった」と泣きながら訴えたことで福田さんはついに、その仕事から外された。翌年、社員として契約は更新しないと告げられ、会社を去ることになった。

 

「それに若い子が少ないじゃないですか。やっぱり若くてかわいい子がいいです。親も子どもを欲しがってるし。アニメキャラはもちろん、声優だって20歳代後半でババア扱いのギョーカイですから。そういう世界にいた自分としてはその辺のおばさんなんて無理ですね」

 やはり声優と結婚したいという、それも若い声優で。いまも子役上がりの声優でMという「推し」がいるようだ。四半世紀の年の差があるのだが。

 筆者は気分が悪くなったのでうんと意地悪な問いかけをしてみた。親の介護と老後はどうするのかと。

「幸い親は年金で裕福ですし、一人っ子なんで持ち家は継げます。親の介護? 考えたこともないですね。まだ二人とも元気で海外旅行とか行ってますよ。どうにかなったら施設に入れるしかないでしょう。自分の老後はもっとわかんないですね。それより正社員になって結婚して、子どもを作ることが重要でしょうね」

 福田さんは真面目な顔をして語るが、数年後に結婚して子どもを作ったとして、福田さんは子どもが成人するころもう70歳だ。それを指摘すると「男はいくつになっても子どもは作れますから」と言った後、「あ、さっきのババアとかのとこ、ネタですからね」と笑った。いつになったら自分の年齢と、残された時間に気づくのだろう。気づかないフリをするしかないのか。

 

どうにかなったら施設に入れるしかないでしょう。親が聞いたら絶望して泣くよ、45歳のおっさんになるまで子供を実家で面倒みているのに、この言われ様は。

自分本位もここまでくれば病気といえよう。

しかし世間一般で忌避される「子供部屋おじさん」のイメージは、まさしくこの福田さん(仮名)であるのだ。

この問題の本質は「分不相応に45歳のオッサンが若手声優との結婚を夢見ている」事ではない。夢見てしまうプロセスにあり、彼という人格を形成した環境だ。

 

幼稚なままに中高年になってしまうケースが多いと思う、こどおじには。

 

精神的に大人になるのが難しいのだ。

だって想像してみよう。自立できないお子様だからこそ許される「親が衣食住の面倒を負担してくれる」という状況が、大人になってもずっと続いているのだから。仮に月10万円を生活費として親に渡したとしても、飯と洗濯と風呂と光熱費や税金の支払いが基本的に親持ちなのだ。

自分が大人になった、あるいは年を取った、おっさんになったという客観視(自覚)するのが困難になってしまうというか、この福田さん(仮名)にとっては「自分はまだ若いと」いう感覚だと思われる。

 

こどおじの弊害はそれだけではない。

1番の問題は、親元に居続けると変化というリスクが発生し難いのだ。

これは仕事でもそうなのだが、リスクや変化を取らない状況がデフォルトになっている人は、そうでない人=リスクや変化を取る人に比べて、ベース的な意味合いでのスペックが上がらない傾向がある。

リスクを乗り越えたり変化を経験しないと、いつまで経っても同じ場所に留まる状況に陥るという事に他ならないから。

僕も30代のこどおじと同僚だった事があるが、正直いって能力はともかく人格的に幼稚で調子を合わせるのがキツかった。学生時代の様に若い、というのは異なり、本当に子供のまま社会人しているという印象を受けた。

僕的サンプル数が少ないとはいえ、やはり家賃光熱費を自分で支払う程度すら経験していないと、暮らしに対しての価値観がかなりズレているなと感じざるを得ないのだ。

実家暮らしで人格者は知ってはいても、実家暮らしで精神的に大人な男性は知らないし。

 

子供部屋おじさんが世間からマイナスイメージなのは、前途した様に「親の庇護下にいる事によって精神的成長が阻害されて幼稚なまま」というレッテル貼りがあり、事実、そういったこどおじが存在しているからだ。

 

参照

https://www.zare-kiji-tukai.com/entry/hatena-Mr_children_s_room

“30代の夜更かし”のせいで人生終わった… 月収50万からホームレスへ転落した男性

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着実に忍び寄る「老後崩壊」。もはや日本人の9割にとって他人事ではない。「下流老人」と「ハッピー老人」をわける境界線はどこにあるのか。今回は、30代での無理がたたって、うつ病を発症し、現在は生活保護を受けているという60歳のケースを紹介しよう--。

 

 20代は気合で乗り切ってた

 「健康が大事なんて耳にタコができるほど聞いているけど、今20年前に戻れるなら、すぐに健康診断に行ってると思うよ」

 タバコを咥えながら、記者にそう答えた稲葉洋二さん(仮名・60歳)。着込んだジャンパーの袖から覗く右手の手のひらには無数の傷が付いている。稲葉さんのキャリアは、この国の高度経済成長期のあとに訪れたモータリゼーションと共にあった。稲葉さんは1956年、沖縄本島で生まれた。那覇市内の偏差値57の普通科高校を卒業後、進学はせず飲食店のアルバイトなどで職を転々としたあと、25歳で上京した。きっかけは急激に拡大する物流市場と、それに伴う長距離トラック運転手の求人数の増加だった。

 「北は青森から南は神戸まで、どこでも行きましたよ。とにかく稼げるって聞いたので。当時は今ほど高速道路もなかったから、今以上に体力勝負でした。20代は気合で乗り切ってたんでしょうね」

 バブル景気前夜の80年代中ごろ、稲葉さんの月収はうなぎのぼりだった。

 「当時の平均月収が20万くらいだったので、今でいえば37万円くらい。移動時間が長いから金は貯まるいっぽうで、使うときは赤坂や新橋で豪快に使ってましたよ」

 

 東京に戻るたびに稼ぎは飲み代や恋人との交際費に消えた。稲葉さんが散財をやめなかったのは、時がバブル景気に沸く80年代後半だったからにほかならない。

 「運転ができれば、なんとかなるだろうと思っていました」

 

 トラック運転手を5年ほど勤めたあと、今度は知人の紹介でタクシー運転手に転職した。

 「バブル景気の真っ只中だったので、タクシー運転手はボロ儲けだった。特に夜の銀座で拾うお客さんがドル箱でね。小田原や木更津まで帰るお客さんもいましたよ」

 当時の月収は、今でいうと50万円ほど。大田区のアパートから世田谷のマンションに引っ越したのもこのころだった。

 そんな順風満帆な生活に急激に亀裂が走ったのが95年のこと。深夜の運転が続いた稲葉さんは、39歳にして白内障と高血圧と診断される。健康診断をろくに受けていなかったツケがまわってきたのだ。家族の支えはなかったのか。

 「33歳で一度結婚しましたが、仕事が忙しくて家庭に身を置く時間はほとんどなかった。2年ほどで別居して離婚しました。夜は家にいないもんだから、家族関係が冷えきるのはあっという間でしたよ」

 

結果、仕事を休職。オフの日は飲み歩いていたこともあり、貯金はみるみるうちに消えていった。

 そんな独身生活が半年ほど続くと、職場復帰はいよいよ困難になる。タクシー会社は退職し、自宅での引きこもり生活が始まった。

 「働いてたころは沖縄の実家に稼ぎの3分の1を送ってたんですよ。でも、親も45歳のころにどちらも亡くなった。身寄りもなくて、東京で過ごすしかなくなったんだけど、ストレスと持病で今度はうつ病にかかっちゃって。家から一歩も出れなくなってからホームレスになるのはあっという間でした」

 

 うつ病になって引っ越す気力もなくなった

 世田谷のアパートから、家賃を払えず新宿中央公園のホームレスへ。99年のことだった。ほかの安いアパートに引っ越すなどの手段は考えなかったのだろうか。

 「よく周囲からはそう言われますよ。でも、身体も動かなくて、うつ病になったら引っ越す気力もなくなるんです。公園から追い出されることもなかったから、ゴミ箱を漁って雑誌の転売をしてた。今から5年前にたまたま新宿のNPOの人に声をかけられて生活保護を申請したんです」

 現在の生活保護の受給額は14万円弱。稲葉さんは、今以上の裕福な暮らしは求めていないという。

 「タクシー運転手時代の深夜労働が思った以上に身体をいじめていたみたいです。定期的な健康診断はもちろんだけど、30歳のころに『まだ動ける』と思わず、無理するのをやめていればこんなことにはならなかったのかも……」

 身振り手振りを交えながら話す稲葉さんの荒れた手のひらは、ホームレス時代の過酷な状況を想像させるには十分だった。

 (鈴木 俊之)

 

参照

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.sankeibiz.jp/econome/amp/170813/ecb1708131302001-a.htm%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D